仏典の漢訳―古訳時代

 通常、漢訳仏典はその訳出年代によって三つの時期に分ける。

 まず、最も古い時代の訳を古訳とよぶ。大体、鳩摩羅什(くまらじゅう)[350-409頃]より前の訳を指す。主要な翻訳者としては、安世高(あんせいこう)・支婁迦讖(しるかせん)のほかに、支謙(しけん)[3世紀]、竺法護(じくほうご)[233-310頃]などがいる。この頃の翻訳者は、主として西域(中欧アジア)から来た人であり、直接インドから来た人は少ない。したがって、その言語も、インドのサンスクリット語ではなく、北西インドから西域へかけて用いられていたガンダーラ語であっただろうと推定されている。北西インドのガンダーラ地方は初期の大乗仏教運動の一つの中心地であったと考えられるから、そこから西域を通って、初期の大乗仏教の成果が、成立後あまり時間を経ずに続々ともたらされた。それゆえ、古訳は初期の大乗仏教の成立をうかがうのに貴重な資料である。

 ところが、この時代の訳はきわめて読みにくい。それゆえ、古訳はのちに旧訳や新訳にとって替わられ、ほとんど読まれなくなってしまった。なぜそのように読みにくいかというと、何といっても、この時代は未だ試行錯誤の時代であった。そもそも中国は、よく知られているように、古代からきわめて高度な文明をもっていた。そこへまったく違う発想、違う言語の新しい思想・宗教が入ってくるのであるから、それをどのように中国人にわからせたらよいのか、きわめて難しい問題である。そこで、例えば、「さとり(ボーディ)」を「道」と訳すように、中国人になじみの概念で置き換えたり、どうしても中国語に翻訳できない言葉は「菩薩」のように音写するなどのさまざまな工夫がなされた。そうやって、しだいに翻訳の原則ができあがってきたのである。

(『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』末木文美士/新潮社)