大乗経典の成立過程

 初期大乗仏典―紀元2世紀ごろまで、すなわち龍樹[150-250頃]以前の成立と考えられるもの。般若経典・浄土経典や『法華経』『華厳経』など、大乗仏教の骨格をなす経典はこの頃の成立と考えられる。
 中期大乗仏典―4、5世紀の成立。唯識説を大成した無著(むじゃく)・世親兄弟(4、5世紀)の頃までに成立していたと考えられるもの。『解深密経』など、唯識説を説くもの、『勝鬘経』『涅槃経』のように、如来蔵・仏性を説く経典はこの頃の成立と考えられる。
 後期大乗仏典―その後の成立。主として密教経典で、中国・日本で重視された『大日経』や『金剛頂経』は7世紀には成立していたと考えられる。
 一口に大乗仏典といっても、このように長い期間にわたって、異なる条件の下で成立している。原始経典が全体でまとまった体系をなしているのに対し、大乗経典はそれぞれ独立したグループのなかで、必ずしも相互の関連がなく創作されているのである。例えば、般若経典なら般若経典を、『法華経』なら『法華経』を創作し、信奉するグループがあり、それらはある場合には正統的な仏教教団と反目したり、弾圧を受けることもあったと思われる。

(『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』末木文美士/新潮社)

 これを読んで「あれ?」と思ったら、勉強不足といえよう。 確かに私たちは、“五時教判”を教えられてきた。
 ここで念のために、もう一度“五時教判”をおさらいしてみたいと思う。
 “五時教判”とは、天台宗の開祖・智ギが釈尊の一代聖教を五期に分類したものである。
 ①華厳時……釈尊が成道した後、21日間、華厳経(権大乗教)を説いた。
 ②阿含時……華厳時に続いて、12年間、阿含経典(小乗教)を説いた。
 ③方等時……阿含時に続いて、16年間(或は8年間)、阿弥陀経維摩経等の権大乗教を説いた。
 ④般若時……方等時に続いて、14年間(或は22年間)、般若経を説いた。
 ⑤法華・涅槃時……最後に、8年間、法華経(実大乗教)を、更に入滅直前の一昼夜で涅槃経を説いた。
 しかし、現実はこれと異なる。いわゆる“大乗非仏説論”である。 “大乗非仏説論”については、また詳しく述べる必要があろう。
 この五時教判は、日蓮が活躍した当時において、仏教を志す者にとって基礎知識であり、一般常識であったろう、と私も考えてきた。少なくとも下記の一節に出会うまでは。
 「諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし」(守護国家論、御書40ページ)
 なんと、日蓮五時教判が事実でないことを知っていた可能性がある。
 それだけではなく、サンスクリットの原典を読んでいた可能性さえあるのだ。 「天竺の梵品には車の荘り物・其の外・聞信戒定進捨慚の七宝まで委しく説き給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候」(大白牛車御消息、1584ページ)
 日蓮が、サンスクリットの原典と大乗経典の漢訳とを見比べることができたとしたら、大乗非仏説論に気づいてもおかしくはない。
(別のブログに掲載していた記事に、加筆・修正を加えて掲載しています)